先日は久し振りに母娘でWALL・E (ウォーリー) を観て来ました
アニメと聞いて渋々だったんですけどねぇ・・・
次女の押しに負けてしまいました〜

ところがあにはからんや・・・期待してなかったのが幸いしたのか
とっても楽しめる映画でした
人類が地球を去って宇宙の何処かに移り住んだ後
700年もの間を黙々?と健気に後片付けをしてるお掃除ロボット、
ウォーリーが愛らしく、 感動させられる久々の名画〜

アル・ゴア前副大統領の映画にしても、 このウォーリーにしても
ハリウッドが環境問題をこういう形で国民に訴えるのは嬉しい事です
肝心の政治家さんたちも動かされると良いのですが・・ (苦笑)
こちら ← のサイトに概要が載ってたのでどうぞ〜♪

いつもならDVDが出るまで待とう、 という私なんですが
これは映画館でならでは、 の映画、 でしたよ
こちら ← のサイトではアニメもご覧になれます
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アズテック・バイオレット ↓ 前回書き忘れてしまってました〜(汗)

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先週はまた泊り客もありました
次女はスパニッシュ・ハウスという、
「毎日スペイン語を話そう〜」、 「スペイン語圏の文化を学ぼう〜」
というのがスローガン?の寮で二年過ごしたんですが、
客人はその寮での先輩。
お相手は在学中に知り合った同輩なので構内にあるチャペルで
8月にウエディングベルを鳴らす予定だそうです〜♪

↓ は大学のチャペル:
次女の卒業式で沢山写真を撮ったのにチャペルのが写ってなくて
同大学のサイトからお借りしました〜


ミシェルはお友達の中で結婚する第一号なので娘は感慨深かげです
我が家に一泊した後、 披露宴の会場を選ぶのに
レストランでの試食に娘を誘って出かけていったんですよ
夕方ふたりはお持ちかえりのドギーバッグをそれぞれ
三パックも抱えて帰宅しました〜〜(笑)

お陰でわたしたちまで満腹に!

ご馳走さま〜、 ミシェル & お幸せに〜♪ (まだ早いかしら・・)
皆さん、 いつも沢山のコメントを有難うございます〜♪
今日は末尾にお知らせを載せましたので最後まで宜しく〜


Jさんと別れた帰り道、 『ガストン・ホール』 という標識を通り過ぎてから

ハッとして車をUターン!


閉館時間をとうに過ぎてたのにお庭の写真だけ撮らせて頂いて得しちゃいました!

得したといえば・・・ この日はガーデンショーがあったそうで
残った水仙の切花だけど良かったらどうぞ〜 って下さったんですよ
すこし傷んでましたが、 有難く頂戴して来ちゃいました、 ちゃっかりと!


ところで、 我が家のチビが愈々大学を卒業します

今週末、 三日連続でピクニックも含めた卒業式オリエンテーションがあり
長女もテキサスから、 親類もニューヨークから来てくれる予定で
気忙しくなりそうなんですよ〜〜

プレッシャーに弱いので 暫く更新はお休みする事にしました
(コメントも閉じておくことにします)
皆さんのところへは時々お邪魔するかも〜 ♪
勝手な事ばかり言って 済みません〜

テレビで何度か観て本物を見たいね、 と話し合ってた念願のショー
太陽のサーカス、 シルク・ドゥ・ソレイユ を観て来ました
この一風変ったサーカス、
ユニークな衣装に身を包んだ人たちのパーフォーマンスは
オペラかミュージカルかの様でもあります〜。
詳しくは ↑ の下線部分をクリックしてみてくださいね ♪
(撮影禁止だったので ↓ はウィキペディアから拝借)

今回の会場は車で1時間もかかる隣町、 シャーロッツビルの街ででした
雨のドライブでしたがバージニア大学構内にある
ジョン・ポール・ジョーンズ・アリーナに到着する頃には時々陽もさし始め
デジカメにはおさめられませんでしたけど虹も見えて気分もルンルン





火曜だった為かサーカスなのに子供たちは殆ど見当たりません
大人のカップルが、 しかも意外だったのは
私達くらいの年齢のご夫婦が目立って嬉しくなってしまいました
撮影禁止なのでYoutubeにもないだろうなぁ、 と思ったら
あにはからんや・・・
終了したのは9時45分でした。
その間、 息つく暇もないくらいのパーフォーマンスの連続で
ふと気が付くと私は口をアングリと開けたまま〜
間抜けな顔したオバちゃんを目撃なさってたら、 それはモナカです

幻想の世界から観客を引き込んでの道化師のパントマイムの笑いの世界へ
久し振りに心から楽しめたお出かけでした
ふた晩明けた今まだ興奮冷め止まぬ思いでいます







ネットで捜したサイトから拝借しました。

それと・・・ビーフストックとは野菜屑とかを牛骨と一緒に煮込んだ出し汁を
小分けして冷凍しておいたものを私はそう呼んでるんですよ。
これも説明不足でした。 あわせてお詫びします〜。
お話変って今日の話題は・・・


に展示されてたこんな ↓ 市電も見て戴きたくて ↓

リッチモンド市内を走っていたストリートカーは1906年に制定された条例で黒人席と白人席は区別されていたんだそうです。


市民権運動指導者だったマーティン・ルーサー・キングの栄誉を称えての祝日でした。

ここはアメリカが北と南に分かれてた頃の南部諸州の首府でしたから・・・。

勤勉で有能で地位も築いた立派な人物です
がこの方、 出身地はローザ・パークス事件 (後席に座るのを拒否)
が発生したアラバマ州、 モンゴメリーなんですよ
それまで家族ぐるみ仲良くしていた隣の白人が
事件の当日になって突然拳銃を持って庭に現れたという
幼い頃の想い出を主人に語ってくれたことがあるそうです
長い道のりを歩いて来たんですね〜
スピーカーをオンにしてスクリーンの真ん中の矢印をクリック聴いて下さいね
歌詞に含まれてる訳ではないのですが・・・
何だかこの歌を聴いてると世界平和を目指すには自分を愛しむように
隣人を愛することから始まるような気がして来るのです
いとおしむ心がやがて ウィ・シャル・オバーカムに繋がっていくような。。。



でこんな
展示品が目に留まりました。 
湾曲した洗濯板に汚れた衣類を乗せ、ハンドルを前後に動かすことで
それに留められた麺棒?がゴシゴシと押し洗いをしてくれる仕掛け。
へえぇ・・でしょ?
キョロキョロ見回したのに説明書きが見付からず
通りかかった監視官員の返事も、 「さぁ〜〜」!
明治7年にアメリカでブラックストーンという人が愛妻の為に
手動洗濯機を発明し誕生日にプレゼントしてる、 ということ。
木桶で出来てるという共通点以外は洗い方も違い、 私の見た↑の方がもっと素朴。
・・・ということは明治7年より前に造られた可能性があるということでしょうか〜?
( ↓ は1900年代初頭のものです)

4000件ものパテント (特許) が下りてるんだそうですよ。
それって・・・アメリカにはそれだけ愛妻家が多いということ?
それとも家事そのものに関心を抱いてる殿方が多いのかしら〜?

英語ですが、 スピーカーがオフでも十分楽しめますよ〜。
真ん中の矢印をクリック
日本初の洗濯機が発売って昭和5年なんだそうですね。
当時の銀行員の初任給が70円で、 洗濯機は370円もしたんですって!
東芝のサイトで知りました。 ついでに写真も拝借〜。

ヒストリカル・ソサエティーで見た洗濯機に
この時代に生まれたことに改めて感謝! 洗濯がイヤだなんて言ってられませんよね〜。

前回のミートローフの記事で誤解を招くような書き方をしてしまいました

5分で出来上がるのはスタッフィングでミートローフではありません。
残念ながらオーブンで焼くのに1時間はかかります〜。
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ビザンチン・アートも・・・
でも知られてますよ。


許してくれるでしょうね〜〜。
二歳と七ヶ月で初めてお雛様を目にして圧倒された表情をしてますね〜〜。
事情があって娘の私には飾ってやれなかったからせめて・・・と、わざわざ新品を買って母が異国の孫娘達に贈ってくれたました。
論より証拠・・・明後日、お目にかけますね〜〜。
今更・・・とは思うんですけど、ネタを細切れにしてず〜っと後になって続きをお見せするのが私のブログの特徴だと思ってご勘弁下さい。(汗)
今日はずっと以前にお目にかけた目黒のお不動さんのある・・・

(先回の雑記はこちらです。)






ミューさんは地元、岩槻市の、
そしてさっちゃんは「矢掛本陣ひなまつり」。
それぞれ豪華版でユニークなお雛様がお目にかかれますよ〜〜。
是非青字の部分をクリックしてご訪問下さいね。

入ろうかどうか迷ってしまいました。
だって、この博物館、実は過去に一度見学した事があるんですもの。
内部の写真を撮ってなかったので、 「展示品の撮影、フラッシュ使用しなければ大丈夫?」 と訊いてみました。
「庭園の写真だけなら見学料なしでも撮って構わないわよ」、
と言ってくれたではありませんか〜〜。
途端に笑顔になってしまった私は早速裏庭に通じるドアを開けてみましたよ・・・


(シャッターは切り損ないましたが・・。)





。)エドガー・ポーからエドガー・アラン・ポーになったのはこの為なんですね。
養父、ジョン・アランはタバコを扱う豪商でポーが少年の頃仕事の関係でイギリスに家族を連れて行きました。ポーはこうして7歳から11歳まで英国生活を経験しています。
帰国後のポー、年に自身の博物館となるとも知らずこの建物、オールド・ストーン・ハウスの前を通って学校に通ったとか。
このオールド・ストーン・ハウス、1735年に建てられたリッチモンドに残る最古の建物なんだそうです。
そして17才になったポーは・・・
任期終了後バージニア州モンテチェロに引退したジェファーソン大統領が創立に努め総長となった大学として知られているバージニア大学に ( 開校されたばかりの1826年に) ポーは進学します。
当時のままポーの部屋が残されてますよ。こちらに写真が・・・。
法律を学ばせようとした養父と物書きを志していたポーとは対立する事も多く、
授業料以外には最小限しか仕送りを受け取れなかったポーは友人や知人に借金をして歩きその額は当時の金額で2500ドルにも達したとか・・・。
それでウエストポイントの陸軍士官学校に入るんですけどここでも校則を破って退学処分を受けたりしてます。
その間、詩集を発表したりしてますが評価されず生活は困窮するばかり。
1835年にリッチモンドの、「南部文芸通信」 という雑誌の編集長の口があり同市に戻ってきました。
ところが二年後には早くも免職。 経営者との対立が原因だったそうです。
その後、結婚、妻の死亡、別の女性との婚約などを経験しますが、その間ニューヨークやフィラデルフィアなどを転々としています。

1849年の事でした。
直接の死因は不明ですが、発作性飲酒狂、癲癇、ポルフィリン症、飲酒による脱水症状、アル中による幻覚や震え、渇酒症、低血糖、狂犬病、心臓病、糖尿病、そして殺人などが憶測されてるそうです。
ポーの一生は波乱万丈だった様です。
今回はリッチモンドで送った人生の一部、それも超特急でのご案内でした〜。
少しフォントのサイズを大きめにしてみました。目が疲れてしまうので〜〜。如何でしょうか



